私の愛するロックヒーローたち

音楽も人となりもひっくるめて、愛しいロックなものを密かに綴る場所です。

『事実は小説より奇なり』


2020.9.24

ORALIUM at KT Zepp Yokohama

行ってきました。


もうとにかく楽しかったです!!!
手挙げたり、跳ねたり、頭振ったりするのなんて
何年ぶりのことなんだろう って。

日々同じことを繰り返して、すっかり気が滅入っていたなか、久しぶりに生きた心地がしました。

明るい弾ける曲もいいけど、ダークな表現をしてこそ希望を唄えるオーラルが流石でした。



さて、毎回色々なことを考えさせてくれるオーラルのライブですが、私は考察とかそんな大層なことはできないので
私として約1年ぶりとなった 今回のライブ「ORALIUM」で、自分なりに受け取ったことや考えたことを綴っていく。
それだけの記事になります。
拙い文章ですが、何かの片手間にでも 読んでいただけたら嬉しいです。


※これ以降はネタバレを含みますので、構成全てを知らずにまっさらな状態で11月の放送に臨みたいという方は、ここでブラウザバックされることをお勧めします。






前半の演出に関しての感想は、

「これって 私たち(=観客)必要なくない?」

というのが正直なところ。


後に、ベースの彼からコンセプトを説明してもらうことで やっとその意図を理解することができたけど

何日も待ちわびたライブに足を運んで、
いざ幕が上がってみれば、4人とは目が合わない。
声を出せない状況でするなけなしの、拍手というレスポンスもどこか無視されているような感じで。

とにかく4人がいる空間を傍から覗いている。同じ場所にいるのに、まるで配信映像を見ているみたいな不思議な感覚を味わった。

最奥の壁にわざわざ映し出されている映像や、そのカメラワークからも、なんとなく
これってあくまでも"配信用"のライブなんだ。
SNSの投票機能で次の流れを、選択していくフェーズもあったので、
まあこのご時世だし、今まで通りって訳にもいかないのか…
と、無理やり納得しようと思う自分もいた。




一転して、後半。

視聴を「続ける」か「やめる」かの選択を
唐突に迫られた。

先程までのように、SNSを開いて投票をしようとするも 今度はどちらも選択することができない。

戸惑う間もなく、画面はノイズで乱れ
刹那、聞こえてきたのは
お馴染みの4本打ちだった。

「オーラルのライブはやっぱこれっしょ!」


私の知っているオーラルが、そこにいた。

4人全員がこちらを向いて、それぞれ表情豊かに、時折フロアと目を合わせながら、手を差し伸べながら、演奏をしてくれた。

それが単純に嬉しかった。

私がここに足を運んだ理由は、これだと思った。


ステージとフロアにいる全員で空間を創り上げていく。
その場の発言や声色や表情で、漂う空気が変わっていく。
言葉を交わさなくても、ステージとフロアで常に何かがやり取りされている この空間こそがライブの醍醐味で、ここにいる人はそんな瞬間が好きでたまらないことがヒシヒシと伝わった。
ここ数ヶ月、味わうことのできなかった高揚感に溢れた空間。周りのオーディエンスの声が聞こえなくてもボルテージの上昇は明らかだった。



誤解して欲しくないのは 決して
前半がつまらなかった、という訳ではないことで、

初っ端のレディジェのイントロでは鳥肌が立ったし、4人のフリーセッションはどうしようもなくカッコよかったし、少し気の抜けたような トークも聞いていて楽しかった。

でもそれ以上に。
自分がその場にいる意味を 後半のライブでは
強く実感できた気がした。



さて、今回は幸運にも この公演のチケットを手にできた私だが、全体として見ればそれが叶わなかった人の方が言わずもがな、多い。
あの場所にいられる人数は、オーラルのファンという分母に対しては圧倒的に少なかった。

だから
今回のようにSNSを活用した新しいライブの形を提示し、実現させるに至るまでには、4人とチームスタッフの皆さんの、この場に来られないファンへの想いが詰まっていたと思う。

公演中にもそこに触れた発言があったように
当日の裏方は特に慌ただしかったそうで、
そういった労力も惜しまずに ファンのことを想ってくれるオーラルのチームには心からの感謝を伝えたい。


ただ、それを体感したからこそ。


私は人と人とが画面を通して繋がっていることに、
何とも言えない寂しさを覚えてしまった。

自分の声を直接届けられないことの苦しさに気づいてしまった。

演者が、観客が、スタッフが、
互いがどんな想いを どれほど抱えていても
その昂りが、声が、表情が、反応が、
その場で その瞬間に 通じ合えないなんて 悲しい。




LIVEとはなんだろう。

アーティストが曲を奏で、それをファンが見ていれば成立するものなのか。

そうしてしまっていいのか。


そうあるべきじゃない。
そしてこの先も そうであって欲しくない。



ボーカルの彼は腹を割って話してくれた。
彼は 自分の中に生まれた違和感を、決して気の所為にはしない 自分に素直でいられる強い人だと、こういう場面で私はいつも思う。

そして、その内容は
私が心のどこかに留めていた声を代弁してくれているようで、なんと表現していいのか 正解が分からないけれど、とにかくその想いが嬉しくて、思わず涙がこぼれてしまった。


ライブというエンターテインメントにおいて
今できる最善の手段は、もしかしたら配信という形態なのかもしれないし、それを拒絶することは 愚かなのかもしれない。

「それでも対面でライブがしたい。見たい。」

この状況にそぐわない 空気の読めない発言は
単なる"我儘"なのかもしれない。


でも私は、もしそれが

ただの"我儘"に捉えられてしまうとしても
この"我儘"を、自分が本当に望んでいるものを、
誤魔化すことで諦めるなんて 絶対にしたくないと思った。

世間のスタンダードに流されて、心の声を偽り続けた先には何があるのか。
誰一人望んでいなかったことが 真実として定着してしまった未来が見えた気がした。



オーラルというバンドがこれまで恐れ、そうならないようにと警鐘を鳴らしてくれていた事態は 想像していたよりも遥か近くに、私たちに迫ってきている。

コロナ禍で様々なものが制限されたこの環境において
奇しくも それは確実に姿を現してきた。


たかが娯楽で、そこまで考えるなんて大袈裟だと笑う人もいるだろう。


それでも、
新しいものがどんどん増えている今だからこそ

これまであったものが、大切だったことを思い出し

その中で自分は何を選ぶのか。
本当に望むものは何か。

私たちは今一度、
自分自身に問いかけるべきだと思う。


そして 音楽を愛するものとしての そのアンサーは


好きなアーティストを目の前にして
その音や想いを 彼らから直接受け取りたい。



私にとって、この一択しか考えられなかった。

完全なエゴだとしても、生で音楽を感じる喜びを
次の世代にも その次の世代にも、ずーっと味わい続けて欲しいと思った。

しかも、ステージに立つ彼らも同じ想いでいてくれるとなれば こんなに幸せで、心強いことはないのかもしれない。


今回のタイトルにもなっている、「ORALIUM

〇〇リウム という言葉には
「〜な場所、空間」という意味がある。

振り返ってみれば、前半は、水槽の様な直方体の空間にメンバー4人が収まっていた。
THE ORAL CIGARETTESというアーティストのいる空間。
そういった 捻りのない意味での、そのままの「ORALIUM」だった。


しかし後半は、その小さな空間をとっぱらい
オーラルの4人とファンが、
ライブハウスという空間で一つになった。


そう、彼らはきっと ファンという私たちの存在を含めて「ORALIUM」を成立させようとしてくれている。

それは 彼らが何かアクションを起こすとき、その先には必ず それを届けたい相手がいるということの証明であって、

ライブがしたい。
リモートではなく、直接音を届けたい。

という望みに、まさに直結する理由だと感じた。


THE ORAL CIGARETTESというバンドが、
ファンである私たちに居場所を認めてくれている。
その事実があるだけで胸がいっぱいになった日だった。




Fact is stranger than fiction.


事実にも虚構にも
手を加えることができるのは人間だ。

ならば私は 今は虚構かもしれないその願いを
持ちうる限りの力を尽くして、
限りなく 事実に仕立てあげたいと思う。

そして、何よりも奇なる、
最高に面白くて素敵な事実の中で
THE ORAL CIGARETTESと共に
これからも息を吸っていたいと思うのだ。






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見通しの立たない不安な状況と戦いながら
万全の準備のもと、有観客ライブの決行に踏み切ってくれた オーラルの4人、チームスタッフの皆さん、
Zeppスタッフの皆さん、その他関係者の全ての方々には 本当に感謝しています。ありがとうございます。

ありきたりな言葉でしか伝えることができませんが、久々のライブは何物にも代えられない 唯一無二の最高の空間でした。
その最高の空間を、日常の中に取り戻せるように
自分の行動を再び見直しながら、明日からも生活していこうと思います。
ゆっくりと、でも確実に。
願う未来に向かって、共に歩ませてください。

本当にありがとうございました。

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