私の愛するロックヒーローたち

音楽も人となりもひっくるめて、愛しいロックなものを密かに綴る場所です。

サブカルとしての邦ロック

(拙い文章ではありますが、ご容赦くださいませ。)


唐突な話にはなるが、近年は空前の邦ロック(バンド)ブームであると私は認識している。

自分の年齢が1桁だった頃にも、もちろんバンドやロックといった概念は存在していたが ここまで巷に蔓延っている状況ではなかったのではないだろうか、というのが私の体感だ。正直、個人的な意見以上でも以下でもないので真実は全く定かではない。

邦ロックが世間で台頭してきた証としては様々な要素が挙げられるが、フェス という文化の浸透は大きいように思える。

アーティスト同士が直接音をぶつけ合い、感じあい、確かめ合い、そしてその空気感をフロアと共有する。この光景は非常に刺激的で画期的だ。目当てのアーティストの音楽を楽しめることは当たり前だが、そこで初めて出会う音楽も無数にある。魅力がそこらじゅうに散りばめられている。ある種、夢の国より夢の国だと私は判断した。(怒られろ)一歩足を突っ込めばもう戻ってこられない泥沼感は否めない。
実際、私自身もその泥沼に嵌った一人にすぎない。
私の邦ロック街道は、まさにフェスから切り拓かれたものだったので 機会があればそれについてもお話したい所存である。

さて、話は戻って。
そういった現場が増えたことで、人々が音楽に触れる機会もそれに比例した。しかも一口にバンド、アーティストと言っても彼らには様々なジャンルと多様な魅せ方がある。さらに、受け取り方に正解のない「音楽」という産物は、受け取り手によって見えるものも違う。反芻することで深みが増す。噛めば噛むほどってか?どんだけお得なんだ「音楽」。娯楽のなかでもコスパ良すぎだろ「音楽」。(言いたいだけ)

何かが世の中で大きく評価される過程として、必ず下積みなるものが存在する。バンドマンでいう、メジャーデビュー前のインディーズ時代などをそれと呼ぶならば、あえて言いたい。

私はそのインディーズ時代がたまらなく好きだ。

なんというか、好き という単純で乱雑な一言に片付けてしまうのはよろしくないかもしれない。

今、一斉を風靡している文化であれ人であれ物であれ、ヒットしていなければそれはただの異端だ。それが何かのきっかけで世間に知れ渡り、偶然に不特定多数の心を掴み、その輪が広がってブームを巻き起こす。
注目されれば王道に成り得るが、そうでなければそれはただメジャーに焦がれる夢のまま。勝てば官軍的なやつだ。いや、決して負けとかそういうものじゃないけれど。それだけシビアな世界であることは、界隈に精通していない聴き手にも十分に理解できるだろう。

しかし、そこでなんとも心強いワードが生まれた。

そう、それこそが

サブカルチャー


である。
辞書的な定義を用いると意味はこうだ。

ある文化の、支配的・中心的文化ではなく、一部の人々を担い手にする文化。都市文化・地方文化・若者文化などの類。

本来スポットライトがあてられるべき「メイン」と反対の意味を持つ「サブ」にスポットライトがあたるという矛盾した出来事。

メジャーに流行している事物は、意識されずとも注目を浴びる存在だ。もちろんそれは素晴らしい。しかし、異端としてあえてフォーカスを絞って貰えるならそれは願ったり叶ったりではなかろうか。上手くいけば"邦ロック"そのものが「メイン」に這い上がるチャンスだ。
そして、実際それが今起こりつつあることを私は酷く実感している。
それは紛れもなくアーティスト自身、その周りを固める企画運営陣の努力の賜物。彼らのハングリー精神が創造の結晶が今、まさに評価されようとしている。 なんと頼もしいことか。
新しいものを、期待感を提示してくれる彼らが世の中の中心になっていくなんて、なんて素敵な事態なんだ。発狂していいですか。(だめです)

とにかく、その歴史的で文化的で確信的な瞬間を、私は今の私を生きているうちに見てみたい。
そのためにも自分の好きなアーティストの音を求め続け、追い続けていきたい。
ときに温かく寄り添い、ときに傍らから不意に現れ、ときに傷を深く抉り、ときに私たちに感情を与え、また奪うこの音楽というものを、その希望を、何があっても一生涯忘れずにいたい。

ダラダラと語らせていただいた。これを発信したことによって、読み手に確固たる何かを伝えようとした訳では無い。ただ邦ロックが、バンド音楽が、さらに発展していくために フロアが単なる消費者でいるのは勿体ないと思う。だからといって、現場に行って暴れろとか、道端でCDを持って行進しろと言っているのではない。

ただ、誰よりも純粋に積極的に何よりも愚直に
「音」を「楽」しむこと。
こういう人が居続ける限り、音楽は不滅だと思う。
そして、そうであって欲しい。
私は何度生まれ変わっても、「音楽」という最高の文化に触れ、邦ロックというジャンルに溺れたいと思う。

そんな単純な希望をここに綴っておく。

一時はサブカルチャーとして注目された、邦ロック、バンドそのものがいつか世界を回している景色が見られたら、間違いなくそこは楽園だ。