私の愛するロックヒーローたち

音楽も人となりもひっくるめて、愛しいロックなものを密かに綴る場所です。


なんのやる気も起きない朝がある。

どうしようもなく落ち込む夜がある。

そんな自分をふと客観視して、面倒になることがある。

希望の歌は、時として私を暗闇から引き上げ
そして、時としてさらなる重圧になる。

それでも最後にはやっぱり光を分け与えてくれる。
嫌になるまで、私たちが顔を上げるまで、
世話を焼いてくれる歌がある。

それを歌うのが、熊本県出身スリーピースバンド
WANIMAだ、と思うのだ。


あるとき、某青い鳥のアプリで
「この人たちの曲はテンション上げるにはいいけど、明るすぎて病んでるときに聴くと鬱になる」
というニュアンスの呟きを見かけたことがある。

正直、その人の意見を完全には否めなかった。

おそらく世間的なイメージとしては
ちょっとヤンチャで元気な若い兄ちゃん3人組が地方から出てきて バンド活動をしている、といったところだろう。
偏見や先入観に惑わされてはいけないことは重々承知しているが、あのルックスや垣間見える色気は明らかに陽キャの気質を感じる。
そんな人たちが超爽快なアッパーチューンに乗せて届けるのは底なしに明るい詞。もちろん、スローな曲もあるし、言わずもがな素敵なんだけどね。
たしかにいつ何時も、そのテンションに乗っかり続けるのは苦痛になり得るかもしれない。

かくいう私も、気分が落ちているときや なんとなく気だるさをまとっているときは、「そっとしておいて欲しい」派の人間で、一人静かに気の済むまで思考を巡らせていたいタイプだ。やれ「頑張れ」だの、「諦めるな」だのありきたりな言葉はいらない。寧ろそれは、負の感情をさらに燃え上がらせるための油でしかない。

しかし同時に思うこともある。他人からの励ましを暑苦しく感じたり、杞憂を鬱陶しく思ったりするのは、それが限りなく核心をついてくるからであって、ご都合主義な人間は、自分の頭に浮かんだその都合の悪い考えを抹消し、自分を正当化しているのだ、と。

そう考えてみると、やはり、
彼らが紡いでいるのはただの綺麗事ではない。


このバンドは 人間が臆病であるが故に、目を背けたくなってしまうまっすぐな希望や夢や光り輝くものを、そのままに歌っているのだ。

他人の人生など、きっと一生をかけても理解することは出来ないのだろうが、私の知る限りでは彼らの人生は決して順風満帆ではなかった。
いろんな経験をして、大人になっていくにつれて 人は『諦める』ことを覚える。『妥協』や『そこそこ』にジワジワと蝕まれていく。

はずなのに。


彼らは光を失わずに、それどころか一層強く輝きながら 今を生きている。

何かに絶望することは容易い。
諦めることは楽で、その方向に流れてしまいたくなる。

でもこのバンドは、辛さを耐え抜く強さを持っている。
悔しさや苦しさをバネにする術を知っている。

ベースボーカルの彼はいつも笑顔を絶やさず、濁りのない瞳で見つめてくる。
ギターの彼は言葉こそ少ないものの、プレーで感情を伝えてくれる。
ドラムの彼は そんな自由な2人の後ろにゆったりと構え、空気を操っている。

個性的な彼らの繰り出す 愚直な音楽は
人間を捉えて話さない。


希望を求め、欲に忠実な詞は実に魅力的だ。
素直さに加え 遊び心を忘れない編成にも、驚くほどに魅せられる。


世間がこんな状態なので、今の私たちは大人しく待つことしかできないのは承知している。
が、事態が収まり次第、
私は彼らのライブへ絶対に足を運びたい。

焼きそばみたいな髪の彼は 初っ端の挨拶でボケ倒すし、MCの内容はほぼ下ネタだし、エピソードトークは出鱈目ばっかりだけど(笑)
フロアに真剣に語りかける彼の言葉や想いには、
1ミリの嘘もない。


彼らも、私も、人間だ。

世の中はそう簡単には思い通りにならないように出来ていて、気持ちの浮き沈みなんて日常茶飯事だ。

でも、ただ日常の出来事に一喜一憂しているだけでは勿体ない。
たまには、その現実にとことん向き合ってみるのも悪くないと思う。


そうして ふと
WANIMAの音を聴き、WANIMAの詞を聴き、 その 底なしに明るいメロディが 心を震わせたとき

私たちは 彼らの人間味と真の優しさに触れるのだろう。


今回のウイルスによる公演中止等の件については、やり切れない思いが募っていると思う。
ただ、それでも、言い訳せずに文句を垂れずに、前を向き続ける3人がやっぱりかっこいい。
WANIMAの音楽は 3人の信念を写し出す鏡だと私には思える。