私の愛するロックヒーローたち

音楽も人となりもひっくるめて、愛しいロックなものを密かに綴る場所です。

Circle of ORAL

2021.11.01

BKW!! Premium Party

〜SUCK MY WORLD(Entire album as it is)〜

@Zeppダイバーシティ東京



界隈の置かれる状況が、まだまだ厳しいなか
ありがたいことに1年ぶりのオーラル現場でした!

何回やっても、4本打ち、ぶち上がるな。笑


前回のORALIUMの記事でも 同様でしたが

伏線や謎を解き明かす、というよりも
今回の公演を経て 私が考えたこと みたいな
ゆるめのスタンスでレポートを書かせていただきます。


あとは単純に
あの瞬間に受けとったものを忘れないための記録と

数多いる同志の皆さんへ
何かしら共有できるものがあればいいな、という
自己満足で

今回のFCツアーを、超私視点で振り返ります✍️

散文となりますが、ご容赦ください。







まず、今ツアーのコンセプトは
開催が叶わなかったSMW公演の完全再現

アルバムや、それを引っ提げたツアーで、表現したかったすべてをありのまま 改めて丁寧に届けよう、と
メンバーがくれた貴重な5公演だったなぁ と。


個人的には

元々予定していたZeppツアー・アリーナツアーの開催を断念せざるを得なかったことへ

もちろん悔しさや寂しさがあったものの

アルバムの曲一つ一つを
じっくりと反芻する期間が出来たことで
より、愛情深く向き合えた作品・公演になったように感じている。


あの日のダイバーシティに漂っていた
なんとも言えない 温かさは、
FCならではの空気感でもあるけど、

ライブで会えない時間が育んだ産物でもある気がして

溜め込んだ負の思いが、それを実感して初めて
ちゃんと消化されて、報われたような思いがした。


「ルールを守って遊んでいるあなたたちは正解です」

その肯定の言葉に救われたのも
私だけではないはず。

よく我慢してるね、偉いで。
なんてメッセージに 勝手に意訳して受け取りつつも
そういう姿勢は貴方たちに倣ったものですよ、と言いたい。




さて、それでは具体的にスポットをあてていく。


まず、

とにかく「魅せる」ことにこだわる彼らは
相も変わらず 視覚での刺激が一級品で
毎度の事ながら、微細な演出に感銘を受けずにいられなかった。


ちなみにMC中、我らがフロントマンから
オーラルのイメージカラーは?なんて質問があったけど、それで言うと私は

黒×の一択で譲れない。
(会場は黒派が多かったのですが、皆さんどうですか?)


だけど、それ以外の原色に染まったバックスクリーンを背に パフォーマンスする姿だって格好よかったし、

水面のように 透き通るレーザーに
スモークを掛け合わせた神秘的な演出や
日差しのごとく優しい光を取り入れた空間だって

それぞれ 全部、似合うと思ってしまう。


その多彩なカラーや質感を
オーラルの世界観に落とし込みつつ

自らも染まることができる、そのポテンシャル

感じされられる度に、募るのは
次に見られる光景への 期待感です。
これからの現場も、この先の新曲も とにかく楽しみ。


あんまり細かいこと言うと
来年から始まるホールツアーのネタバレになる…?
そんな懸念から、この辺りで口を慎みますが

本当に美しかった。


どうせ生のライブに行けるなら、
なるべく前にいられる方が楽しい なんて
単純に思うこともあるけど、

これだけ凝った空間が作り出されているなら
全体を見渡せる位置で参加する楽しさだって、
それに匹敵すると思う。身体が二つ欲しい(切実)





そして、ライブに行くたびに
胸をいっぱいにしてくれる 愛しい要素の一つに、

彼らからの言葉がある。


というか、楽曲だって拓也さんが手掛けたものなので
実質、オーラルのライブで私たちは絶えず
彼らからの言葉を受け取っている事になるのだけど。



こうしてわざわざレポートを書くなど
文字に起こすことや、言葉にすることに拘泥している私なので、もしかしたらお察し頂けるかもしれないが

私にとって 言葉の持つ力は偉大で

愛する人からの 言葉なら
逃してしまうのは、一言であっても惜しい。

(…なんかめちゃくちゃメンヘラっぽい激重な言い回しになっているけど、事実だから仕方ない)



だから、

いつものMCに続いて

弾ける笑顔のベーシストが
思わず涙ぐみながら言葉を届けてくれたことも

全てを見守るドラマーが 日常を渇望してくれたことも

多くを語らないギタリストが
あるだけの想いを全て伝えようとしてくれたことも

どれも同じように 大切だったけど、


マイクを通したそれ以外で
どうしても脳裏に焼きついて 離れないものがあった。



皆さんも、一度は目にしたことがないだろうか

曲の前奏・間奏・後奏中に、拓也さんがマイクを通さずに
フロアに向かって 語りかけてくれる瞬間を。


今回の公演、理由は分からないが
彼が、そうして密かに言葉を紡ぐ場面が
なにより印象的だったのだ。




なかでも、忘れられないシーンが二つあって、



一つは、私のSMWでの推し曲
The Given
1番のAメロが始まる寸前の言葉


「みんなが 幸せになれますように」



楽曲タイトルの直訳は"与えられたもの"


拓也さんが繰り返し口にする

生かされてる、っていう表現だとか
使命、っていう言葉選びに 通じるものが
この曲には色濃く宿っている。

特に

Give me your sadness
(貴方の悲しみをください)
Give me your hopelessness
(貴方の絶望をください)
So I can stay with you
(だから、俺は貴方と共にいられる)


の部分なんて、
良くも悪くも全てのものを抱きこんでしまう
拓也さんを丸ごと反映していて、

そんな想いと 覚悟を伝えたうえで

あの優しすぎる表情で
それを呟くのが、またずるい。


自己犠牲とも捉えられるその考えを
私たちが否定することは容易いけど、きっと彼は
そうされたいと 望んでいるわけじゃなく

自惚れるなら、それは、
純粋な愛によるものだと思う。





そして もう一つ、

アルバムを締めくくる曲
Slowly but surely I go on
本来ならこちらがレスポンスしたかったパートで


「大丈夫」

「俺はここで待ってるから」
「いつでも、また 遊びにおいで」



って。



この曲は 拓也さん自身やバンドの歩みを
綴ったものだとは思うんだけど、

最近の情勢を踏まえると、聴き手が主人公になれる曲でもある気がする。


そんな曲を通して

いつでもおいで、と迎えてくれる

明日を絶やさぬように 共に歩もうとしてくれる

そんな彼からの「大丈夫」には
絶対的な安心を感じたし、

今は発することの出来ないこの声を
近い将来 必ず、あわよくばこの場所でまた、

絶対に返すんだ、と誓わずにはいられなかった。



なんか こうして思い出して書いてるだけでも
結構、グッときちゃってますが


加えて、
こういう人の温かさに触れると

心の機微に聡い人って、すごく繊細で
そこはかとない 優しさを持ってるくせに、
それを適用するベクトルは
決まって他者向きなんだよなぁ、と思う。



じゃあ、周りに与えてばかりいる人は
一体どうやったら幸せになれるの、って疑問が
生まれてくるけど

そうなったら 逆に答えは単純で


貰ってる私たちが 返せばいいんですよね。


与えるという行為を、己の幸せと思える人も
ごく稀にいるものの
人から 何かを貰うって、やっぱり喜ばしいものだから。



そんな風に誰かを想う気持ちの循環こそ
彼が、そしてオーラルが望む
人と人が作り出すなのかもしれないし

こんな時代だからこそ、今一度実感すべき
代替品のない大切なつながり


その輪を形作る 先駆者として
彼らが名乗りを挙げてくれたのなら、

私はなんの躊躇いもなく そこに加わりたい。






あなたの世界だ
あなたの信じ進む道が
結局は 仲間を幸せにする
大丈夫 祈ってる



THE ORAL CIGARETTESの進む道に
幸せにしてもらっている奴が、一人ここにいます。




「自分の目で見て 判断してください。」

繰り返し そう言い続ける彼らに、甘えて
ただ 判断するだけではなく

それを受けた 行動を起こすフェーズまで
自分を連れていけたら
オーラルにも 身の周りの人たちにも
より 愛情や感謝が届けられる


簡単なようで、意外とできていないこと

改めて、学ばせてもらったライブでした。





嬉しくないことに、
マスクやディスタンスの伴った生活にも
慣れはじめているけど

グッズの販売時間を分けてくださったり
消毒・検温の手筈を整えてくださったり
規制退場を取り仕切ってくださったり
感染対策に尽くしてくださる、

スタッフの皆さんがいてこそのライブであること、
勿論忘れていません。ありがとうございます。


そういう感謝の気持ちも含め、

これから もっと意識的に愛を返して

私も 自分の信じる道を歩くことで
周りの人に、幸せを掴んで貰えたらな。




2021.11.01 @Zeppダイバーシティ東京

1.Introduction
2.Tonight the silence kills me with your fire
3.Fantasy
4.Dream In Drive
5.Maze
6.Don't you think
7.Hallelujah
8.Breathe
9.ワガママで誤魔化さないで
10.Shine Holder
11.Naked
12.Color Tokyo
13.From Dusk Till Dawn
14.The Given
15.Slowly but surely I go on

EN1.MACHINEGUN
EN2.Red Criminal
EN3.アクセス×抗体



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FCツアーありがとうございました!
次は来年のホールツアー!
声出したい!出せますように!

豊洲の願い事


2021.07.06

Cheddar Flavor Tour
at 豊洲PIT



去年の1月に何となしに見送った横アリ公演を
ただただ悔やみ続けて、ようやく叶いました!
2年ぶりの、しかも箱でのWANIMA
ぶち上がらんわけがなかった。

まだ声を上げられない状況に、歯痒さが残るものの
最高に楽しんできました。


「後ろの方、もう腕上げるの疲れとるやろ〜!」

「ジャンプ久々すぎて 足攣りよったよなぁ?笑」



さすがに足は攣ってないですけど(笑)
ケンタくんに言われること図星すぎたな…?

それだけ ライブから遠ざかった生活してるんだな、って実感すると やっぱり寂しさはあるね…

ただ!とにかく 生音が最高すぎません??

耳に届く心地いい高音と
身体に直接響いてくる重低音のグルーヴ感、
これがもう久しく味わってなかった感覚で

豊洲PIT自体もちょうど2年ぶりくらいだったので
その空気感の懐かしさすら エモかったです。



で、予想してたとおり

オーディエンスの声がないWANIMAのライブ
不思議で仕方なかったですね…🤔

私自身は、曲調も 考えも チューンも
かなりバラバラに いろんなアーティストのライブに足を運ぶし、フェスも大好きなんですが

WANIMAのライブって
コール&レスポンスはもちろん、メロ自体を
大多数のお客さんが歌ってるイメージが強い。

言うなれば、終始、全員合唱(笑)

そもそも Vo.ケンタくんのスタンスが
一緒に歌ってくれ〜 な感じだし、なんなら
俺が歌詞忘れたら、みんな助けてね!だから、

隣の人の歌声とか ちゃんと聞こえてくるのが
現場の一体感を増してる感じで大好き。

その客席のボリュームを、
持ち前の攻撃的な声で
結局は一掃しちゃう松本健太も大好き。()


不意の歓声とか、クスクス笑う声みたいな
意図せず漏れちゃうやつは 抜きにして

こんなにもフロアからの音がないライブは
良くも(?)悪くも 相当新鮮だったので、
声が出せるようになってからのライブが
今から、楽しみで仕方ないけどね。



Chilly Chilly Sauce

Cheddar Flavor

Chopped Gril Chicken


コロナ禍の今回の三部作

ただ何気なく、いつも通り楽しく
聴いてたアルバムだったけど
ライブMCを受けて改めて、三人の想いが詰め込まれた 密度の高い楽曲たちだと感じます


楽曲を敢えて小出しにしていくことで
聴いてくれる人たちに
コンスタントにパワーを与えたい
っていうのが、またWANIMAらしくて

まんまとその策略通り 勇気づけられてんだよ、私は。


このライブでは披露されなかった
新曲『旅立ちの前に』で はじめて
【頑張れよ】という詞を使った、って話があったけど

このバンドの音楽って、単なる応援じゃなくて

自分たちの《頑張る》を見せることで
それを受けた人にも《頑張ろう》
伝染させる力を秘めてる気がしてます

だからライブのMCだっていうのに、

お立ち台で正座して話してくれるし

テンション上がって、
花火のギターめちゃめちゃになるし
それに対して「おい!」って怒るし(笑)


一挙一動から、本気が伝わってくるWANIMAの
この公演は

「拍手よりも、自分の声で応えたい」
「日々の窮屈から いい加減抜け出したい」
「海を渡って 大切な貴方に届いて欲しい」

そして何よりも
「音楽シーンやそこに携わる人、全てを守りたい」
という、願いが飽和した空間でした

きっと、各ライブハウスで この想いが溢れてる

だからこそ改めて

もうなんか 色々あるけど、来たる次のライブまで
なんとか生きていくしかないな!っていう
究極にポジティブな諦めを得られました。

どうしても譲れないものは
それを望み続けること、願い続けることでしか
守ることができないと思うので、

音楽ファンにできることが 微力だとしても
これだけは 絶対にやらないといけない気がする。


この日のライブが

このチェダフレツアーが

間違いじゃなかったよねって笑える未来に辿り着くまで

みんなで揃って「開催しまーす!!!」が言える日に

《想い馳せて》

《信じることに賭けてみるよ》




_____________
__豊洲 DAY1______

SE:Cheddar Flavorのテーマ
M1.Call
M2.LIFE
M3.枯れない薔薇
MC1
M4.Cheddar Flavor
M5.昨日の歌
M6.夏の面影
M7.TRACE
M8.THANX
M9.1106
M10.Faker
M11.となりに
M12.終わりのはじまり
M13.つづくもの
M14.BIG UP
MC2
M15.ネガウコト
M16.SHADES

MC3
EN1.ONCE AGAIN
EN2.月の傍で
EN3.花火
EN4.離れていても


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________

『事実は小説より奇なり』


2020.9.24

ORALIUM at KT Zepp Yokohama

行ってきました。


もうとにかく楽しかったです!!!
手挙げたり、跳ねたり、頭振ったりするのなんて
何年ぶりのことなんだろう って。

日々同じことを繰り返して、すっかり気が滅入っていたなか、久しぶりに生きた心地がしました。

明るい弾ける曲もいいけど、ダークな表現をしてこそ希望を唄えるオーラルが流石でした。



さて、毎回色々なことを考えさせてくれるオーラルのライブですが、私は考察とかそんな大層なことはできないので
私として約1年ぶりとなった 今回のライブ「ORALIUM」で、自分なりに受け取ったことや考えたことを綴っていく。
それだけの記事になります。
拙い文章ですが、何かの片手間にでも 読んでいただけたら嬉しいです。


※これ以降はネタバレを含みますので、構成全てを知らずにまっさらな状態で11月の放送に臨みたいという方は、ここでブラウザバックされることをお勧めします。






前半の演出に関しての感想は、

「これって 私たち(=観客)必要なくない?」

というのが正直なところ。


後に、ベースの彼からコンセプトを説明してもらうことで やっとその意図を理解することができたけど

何日も待ちわびたライブに足を運んで、
いざ幕が上がってみれば、4人とは目が合わない。
声を出せない状況でするなけなしの、拍手というレスポンスもどこか無視されているような感じで。

とにかく4人がいる空間を傍から覗いている。同じ場所にいるのに、まるで配信映像を見ているみたいな不思議な感覚を味わった。

最奥の壁にわざわざ映し出されている映像や、そのカメラワークからも、なんとなく
これってあくまでも"配信用"のライブなんだ。
SNSの投票機能で次の流れを、選択していくフェーズもあったので、
まあこのご時世だし、今まで通りって訳にもいかないのか…
と、無理やり納得しようと思う自分もいた。




一転して、後半。

視聴を「続ける」か「やめる」かの選択を
唐突に迫られた。

先程までのように、SNSを開いて投票をしようとするも 今度はどちらも選択することができない。

戸惑う間もなく、画面はノイズで乱れ
刹那、聞こえてきたのは
お馴染みの4本打ちだった。

「オーラルのライブはやっぱこれっしょ!」


私の知っているオーラルが、そこにいた。

4人全員がこちらを向いて、それぞれ表情豊かに、時折フロアと目を合わせながら、手を差し伸べながら、演奏をしてくれた。

それが単純に嬉しかった。

私がここに足を運んだ理由は、これだと思った。


ステージとフロアにいる全員で空間を創り上げていく。
その場の発言や声色や表情で、漂う空気が変わっていく。
言葉を交わさなくても、ステージとフロアで常に何かがやり取りされている この空間こそがライブの醍醐味で、ここにいる人はそんな瞬間が好きでたまらないことがヒシヒシと伝わった。
ここ数ヶ月、味わうことのできなかった高揚感に溢れた空間。周りのオーディエンスの声が聞こえなくてもボルテージの上昇は明らかだった。



誤解して欲しくないのは 決して
前半がつまらなかった、という訳ではないことで、

初っ端のレディジェのイントロでは鳥肌が立ったし、4人のフリーセッションはどうしようもなくカッコよかったし、少し気の抜けたような トークも聞いていて楽しかった。

でもそれ以上に。
自分がその場にいる意味を 後半のライブでは
強く実感できた気がした。



さて、今回は幸運にも この公演のチケットを手にできた私だが、全体として見ればそれが叶わなかった人の方が言わずもがな、多い。
あの場所にいられる人数は、オーラルのファンという分母に対しては圧倒的に少なかった。

だから
今回のようにSNSを活用した新しいライブの形を提示し、実現させるに至るまでには、4人とチームスタッフの皆さんの、この場に来られないファンへの想いが詰まっていたと思う。

公演中にもそこに触れた発言があったように
当日の裏方は特に慌ただしかったそうで、
そういった労力も惜しまずに ファンのことを想ってくれるオーラルのチームには心からの感謝を伝えたい。


ただ、それを体感したからこそ。


私は人と人とが画面を通して繋がっていることに、
何とも言えない寂しさを覚えてしまった。

自分の声を直接届けられないことの苦しさに気づいてしまった。

演者が、観客が、スタッフが、
互いがどんな想いを どれほど抱えていても
その昂りが、声が、表情が、反応が、
その場で その瞬間に 通じ合えないなんて 悲しい。




LIVEとはなんだろう。

アーティストが曲を奏で、それをファンが見ていれば成立するものなのか。

そうしてしまっていいのか。


そうあるべきじゃない。
そしてこの先も そうであって欲しくない。



ボーカルの彼は腹を割って話してくれた。
彼は 自分の中に生まれた違和感を、決して気の所為にはしない 自分に素直でいられる強い人だと、こういう場面で私はいつも思う。

そして、その内容は
私が心のどこかに留めていた声を代弁してくれているようで、なんと表現していいのか 正解が分からないけれど、とにかくその想いが嬉しくて、思わず涙がこぼれてしまった。


ライブというエンターテインメントにおいて
今できる最善の手段は、もしかしたら配信という形態なのかもしれないし、それを拒絶することは 愚かなのかもしれない。

「それでも対面でライブがしたい。見たい。」

この状況にそぐわない 空気の読めない発言は
単なる"我儘"なのかもしれない。


でも私は、もしそれが

ただの"我儘"に捉えられてしまうとしても
この"我儘"を、自分が本当に望んでいるものを、
誤魔化すことで諦めるなんて 絶対にしたくないと思った。

世間のスタンダードに流されて、心の声を偽り続けた先には何があるのか。
誰一人望んでいなかったことが 真実として定着してしまった未来が見えた気がした。



オーラルというバンドがこれまで恐れ、そうならないようにと警鐘を鳴らしてくれていた事態は 想像していたよりも遥か近くに、私たちに迫ってきている。

コロナ禍で様々なものが制限されたこの環境において
奇しくも それは確実に姿を現してきた。


たかが娯楽で、そこまで考えるなんて大袈裟だと笑う人もいるだろう。


それでも、
新しいものがどんどん増えている今だからこそ

これまであったものが、大切だったことを思い出し

その中で自分は何を選ぶのか。
本当に望むものは何か。

私たちは今一度、
自分自身に問いかけるべきだと思う。


そして 音楽を愛するものとしての そのアンサーは


好きなアーティストを目の前にして
その音や想いを 彼らから直接受け取りたい。



私にとって、この一択しか考えられなかった。

完全なエゴだとしても、生で音楽を感じる喜びを
次の世代にも その次の世代にも、ずーっと味わい続けて欲しいと思った。

しかも、ステージに立つ彼らも同じ想いでいてくれるとなれば こんなに幸せで、心強いことはないのかもしれない。


今回のタイトルにもなっている、「ORALIUM

〇〇リウム という言葉には
「〜な場所、空間」という意味がある。

振り返ってみれば、前半は、水槽の様な直方体の空間にメンバー4人が収まっていた。
THE ORAL CIGARETTESというアーティストのいる空間。
そういった 捻りのない意味での、そのままの「ORALIUM」だった。


しかし後半は、その小さな空間をとっぱらい
オーラルの4人とファンが、
ライブハウスという空間で一つになった。


そう、彼らはきっと ファンという私たちの存在を含めて「ORALIUM」を成立させようとしてくれている。

それは 彼らが何かアクションを起こすとき、その先には必ず それを届けたい相手がいるということの証明であって、

ライブがしたい。
リモートではなく、直接音を届けたい。

という望みに、まさに直結する理由だと感じた。


THE ORAL CIGARETTESというバンドが、
ファンである私たちに居場所を認めてくれている。
その事実があるだけで胸がいっぱいになった日だった。




Fact is stranger than fiction.


事実にも虚構にも
手を加えることができるのは人間だ。

ならば私は 今は虚構かもしれないその願いを
持ちうる限りの力を尽くして、
限りなく 事実に仕立てあげたいと思う。

そして、何よりも奇なる、
最高に面白くて素敵な事実の中で
THE ORAL CIGARETTESと共に
これからも息を吸っていたいと思うのだ。






〜〜〜〜

見通しの立たない不安な状況と戦いながら
万全の準備のもと、有観客ライブの決行に踏み切ってくれた オーラルの4人、チームスタッフの皆さん、
Zeppスタッフの皆さん、その他関係者の全ての方々には 本当に感謝しています。ありがとうございます。

ありきたりな言葉でしか伝えることができませんが、久々のライブは何物にも代えられない 唯一無二の最高の空間でした。
その最高の空間を、日常の中に取り戻せるように
自分の行動を再び見直しながら、明日からも生活していこうと思います。
ゆっくりと、でも確実に。
願う未来に向かって、共に歩ませてください。

本当にありがとうございました。

〜〜〜〜


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現状打開策

みなさんこんにちは。

猛威を振るうウイルスに世間は大打撃を喰らっていますが、我らが愛するバンドマン、音楽業界もその最たる被害者。

外に出られないこと、大勢で集まることが困難とされていること。それでも彼らは日々思考を止めず なんとか音楽を届けようとしてくれています。

けど、やっぱりライブという現場には
そこにしかない喜びや高揚があって、そこでしか生まれないものもあるんだよなぁ…

年明けには静かに身を潜めていたウイルスも、春が近づくにつれて目立ち始めましたね。
大人しくしといてよ、マジで。お前のせいで何十何百と現場が潰れてんだわ。返金なんて虚しい言葉を何度見ればいいんだよ。音楽に親でも殺されたか?


こんなどうしようもない状況で、
国の対策に不満が出るのもわかります。
完璧と言えない医療に不安を覚えるのもわかります。

でも、批判しているだけでは前進できない。
それもちゃんとわかっていますね。

私たちオーディエンスが、大好きな彼らの最高の音楽を聴くために、見るために、今できることは とにかく堪えること。
これ以上に窮屈で不自由な世界を、自分たちの手で創ってしまわないこと。
事態が収束して、この世界にライブという素敵な産物が息を吹き返したとき、歯痒い思いをしながら耐え抜いた彼らと 心のままに音を楽しむこと。


だから、一旦踏みとどまってほしい。

今日は予定を延期して、
家で一人ゆっくりと過ごしてみてほしい。

過去のライブを振り返って楽しむのもいい。

憧れのあのフレーズを
歌ってみるのも、弾いてみるのもいい。

もちろんそれ以外でも、なんでもいい。
とにかく家で出来ることをする。

そんな遠回りが、私たちが再び音を楽しむための 最短の道だと信じて、みんなで乗り切りましょう。


また 音楽というたった一つの強いつながりで
沢山の人と出会い 笑い合える日が来るのを
心待ちにしています。


なんのやる気も起きない朝がある。

どうしようもなく落ち込む夜がある。

そんな自分をふと客観視して、面倒になることがある。

希望の歌は、時として私を暗闇から引き上げ
そして、時としてさらなる重圧になる。

それでも最後にはやっぱり光を分け与えてくれる。
嫌になるまで、私たちが顔を上げるまで、
世話を焼いてくれる歌がある。

それを歌うのが、熊本県出身スリーピースバンド
WANIMAだ、と思うのだ。


あるとき、某青い鳥のアプリで
「この人たちの曲はテンション上げるにはいいけど、明るすぎて病んでるときに聴くと鬱になる」
というニュアンスの呟きを見かけたことがある。

正直、その人の意見を完全には否めなかった。

おそらく世間的なイメージとしては
ちょっとヤンチャで元気な若い兄ちゃん3人組が地方から出てきて バンド活動をしている、といったところだろう。
偏見や先入観に惑わされてはいけないことは重々承知しているが、あのルックスや垣間見える色気は明らかに陽キャの気質を感じる。
そんな人たちが超爽快なアッパーチューンに乗せて届けるのは底なしに明るい詞。もちろん、スローな曲もあるし、言わずもがな素敵なんだけどね。
たしかにいつ何時も、そのテンションに乗っかり続けるのは苦痛になり得るかもしれない。

かくいう私も、気分が落ちているときや なんとなく気だるさをまとっているときは、「そっとしておいて欲しい」派の人間で、一人静かに気の済むまで思考を巡らせていたいタイプだ。やれ「頑張れ」だの、「諦めるな」だのありきたりな言葉はいらない。寧ろそれは、負の感情をさらに燃え上がらせるための油でしかない。

しかし同時に思うこともある。他人からの励ましを暑苦しく感じたり、杞憂を鬱陶しく思ったりするのは、それが限りなく核心をついてくるからであって、ご都合主義な人間は、自分の頭に浮かんだその都合の悪い考えを抹消し、自分を正当化しているのだ、と。

そう考えてみると、やはり、
彼らが紡いでいるのはただの綺麗事ではない。


このバンドは 人間が臆病であるが故に、目を背けたくなってしまうまっすぐな希望や夢や光り輝くものを、そのままに歌っているのだ。

他人の人生など、きっと一生をかけても理解することは出来ないのだろうが、私の知る限りでは彼らの人生は決して順風満帆ではなかった。
いろんな経験をして、大人になっていくにつれて 人は『諦める』ことを覚える。『妥協』や『そこそこ』にジワジワと蝕まれていく。

はずなのに。


彼らは光を失わずに、それどころか一層強く輝きながら 今を生きている。

何かに絶望することは容易い。
諦めることは楽で、その方向に流れてしまいたくなる。

でもこのバンドは、辛さを耐え抜く強さを持っている。
悔しさや苦しさをバネにする術を知っている。

ベースボーカルの彼はいつも笑顔を絶やさず、濁りのない瞳で見つめてくる。
ギターの彼は言葉こそ少ないものの、プレーで感情を伝えてくれる。
ドラムの彼は そんな自由な2人の後ろにゆったりと構え、空気を操っている。

個性的な彼らの繰り出す 愚直な音楽は
人間を捉えて話さない。


希望を求め、欲に忠実な詞は実に魅力的だ。
素直さに加え 遊び心を忘れない編成にも、驚くほどに魅せられる。


世間がこんな状態なので、今の私たちは大人しく待つことしかできないのは承知している。
が、事態が収まり次第、
私は彼らのライブへ絶対に足を運びたい。

焼きそばみたいな髪の彼は 初っ端の挨拶でボケ倒すし、MCの内容はほぼ下ネタだし、エピソードトークは出鱈目ばっかりだけど(笑)
フロアに真剣に語りかける彼の言葉や想いには、
1ミリの嘘もない。


彼らも、私も、人間だ。

世の中はそう簡単には思い通りにならないように出来ていて、気持ちの浮き沈みなんて日常茶飯事だ。

でも、ただ日常の出来事に一喜一憂しているだけでは勿体ない。
たまには、その現実にとことん向き合ってみるのも悪くないと思う。


そうして ふと
WANIMAの音を聴き、WANIMAの詞を聴き、 その 底なしに明るいメロディが 心を震わせたとき

私たちは 彼らの人間味と真の優しさに触れるのだろう。


今回のウイルスによる公演中止等の件については、やり切れない思いが募っていると思う。
ただ、それでも、言い訳せずに文句を垂れずに、前を向き続ける3人がやっぱりかっこいい。
WANIMAの音楽は 3人の信念を写し出す鏡だと私には思える。

サブカルとしての邦ロック

(拙い文章ではありますが、ご容赦くださいませ。)


唐突な話にはなるが、近年は空前の邦ロック(バンド)ブームであると私は認識している。

自分の年齢が1桁だった頃にも、もちろんバンドやロックといった概念は存在していたが ここまで巷に蔓延っている状況ではなかったのではないだろうか、というのが私の体感だ。正直、個人的な意見以上でも以下でもないので真実は全く定かではない。

邦ロックが世間で台頭してきた証としては様々な要素が挙げられるが、フェス という文化の浸透は大きいように思える。

アーティスト同士が直接音をぶつけ合い、感じあい、確かめ合い、そしてその空気感をフロアと共有する。この光景は非常に刺激的で画期的だ。目当てのアーティストの音楽を楽しめることは当たり前だが、そこで初めて出会う音楽も無数にある。魅力がそこらじゅうに散りばめられている。ある種、夢の国より夢の国だと私は判断した。(怒られろ)一歩足を突っ込めばもう戻ってこられない泥沼感は否めない。
実際、私自身もその泥沼に嵌った一人にすぎない。
私の邦ロック街道は、まさにフェスから切り拓かれたものだったので 機会があればそれについてもお話したい所存である。

さて、話は戻って。
そういった現場が増えたことで、人々が音楽に触れる機会もそれに比例した。しかも一口にバンド、アーティストと言っても彼らには様々なジャンルと多様な魅せ方がある。さらに、受け取り方に正解のない「音楽」という産物は、受け取り手によって見えるものも違う。反芻することで深みが増す。噛めば噛むほどってか?どんだけお得なんだ「音楽」。娯楽のなかでもコスパ良すぎだろ「音楽」。(言いたいだけ)

何かが世の中で大きく評価される過程として、必ず下積みなるものが存在する。バンドマンでいう、メジャーデビュー前のインディーズ時代などをそれと呼ぶならば、あえて言いたい。

私はそのインディーズ時代がたまらなく好きだ。

なんというか、好き という単純で乱雑な一言に片付けてしまうのはよろしくないかもしれない。

今、一斉を風靡している文化であれ人であれ物であれ、ヒットしていなければそれはただの異端だ。それが何かのきっかけで世間に知れ渡り、偶然に不特定多数の心を掴み、その輪が広がってブームを巻き起こす。
注目されれば王道に成り得るが、そうでなければそれはただメジャーに焦がれる夢のまま。勝てば官軍的なやつだ。いや、決して負けとかそういうものじゃないけれど。それだけシビアな世界であることは、界隈に精通していない聴き手にも十分に理解できるだろう。

しかし、そこでなんとも心強いワードが生まれた。

そう、それこそが

サブカルチャー


である。
辞書的な定義を用いると意味はこうだ。

ある文化の、支配的・中心的文化ではなく、一部の人々を担い手にする文化。都市文化・地方文化・若者文化などの類。

本来スポットライトがあてられるべき「メイン」と反対の意味を持つ「サブ」にスポットライトがあたるという矛盾した出来事。

メジャーに流行している事物は、意識されずとも注目を浴びる存在だ。もちろんそれは素晴らしい。しかし、異端としてあえてフォーカスを絞って貰えるならそれは願ったり叶ったりではなかろうか。上手くいけば"邦ロック"そのものが「メイン」に這い上がるチャンスだ。
そして、実際それが今起こりつつあることを私は酷く実感している。
それは紛れもなくアーティスト自身、その周りを固める企画運営陣の努力の賜物。彼らのハングリー精神が創造の結晶が今、まさに評価されようとしている。 なんと頼もしいことか。
新しいものを、期待感を提示してくれる彼らが世の中の中心になっていくなんて、なんて素敵な事態なんだ。発狂していいですか。(だめです)

とにかく、その歴史的で文化的で確信的な瞬間を、私は今の私を生きているうちに見てみたい。
そのためにも自分の好きなアーティストの音を求め続け、追い続けていきたい。
ときに温かく寄り添い、ときに傍らから不意に現れ、ときに傷を深く抉り、ときに私たちに感情を与え、また奪うこの音楽というものを、その希望を、何があっても一生涯忘れずにいたい。

ダラダラと語らせていただいた。これを発信したことによって、読み手に確固たる何かを伝えようとした訳では無い。ただ邦ロックが、バンド音楽が、さらに発展していくために フロアが単なる消費者でいるのは勿体ないと思う。だからといって、現場に行って暴れろとか、道端でCDを持って行進しろと言っているのではない。

ただ、誰よりも純粋に積極的に何よりも愚直に
「音」を「楽」しむこと。
こういう人が居続ける限り、音楽は不滅だと思う。
そして、そうであって欲しい。
私は何度生まれ変わっても、「音楽」という最高の文化に触れ、邦ロックというジャンルに溺れたいと思う。

そんな単純な希望をここに綴っておく。

一時はサブカルチャーとして注目された、邦ロック、バンドそのものがいつか世界を回している景色が見られたら、間違いなくそこは楽園だ。

はじめに


はじめましての方ははじめまして。
そうでない方もご無沙汰しております。

私は元より別ジャンルで、こちらの媒体を通じて 自分の好きな人たちについて 好きなように綴ってきました。
今回、新たな題材を持って記事を書こうと思ったのは
私自身が この数ヶ月で音楽に触れる機会に非常に恵まれたことをきっかけとしています。

といっても、音楽に触れ始めたのは年齢が一桁だった頃のことで 実はかなり私の人生に縁のある事物なんだとも感じています。


私がこれまで音楽から受けた、様々な感情や感動やそういったものを ブログという形にすることで
私の中でもより一層深みが増し、また通りすがりの皆さんの目にとまることで その皆さんの中に何かしらの刺激や創造や、些細なものであっても確実な変化が起きたなら それもまた素晴らしいことなんではないかと思います。

ということで、あれを書くよ!これを書くよ!みたいなものは特にありません!

そのうえ、専門的な知識だとか見解だとか そういうものが出来るわけでもありません。
ただの音楽好きな素人が心を動かされたものについて、(おそらく)まとまりなくダラダラと 綴っていくのが基本になると思いますので、気が向いた方が気の向いたときにお付き合いくださると幸いです。

それでは 説明はこのあたりにして…
次回からは色々書いていくと思います。
おねがいします。